10年前の3月11日、午後2時46分、あの激しい揺れの時、私は盛岡市役所上下水道局庁舎二階執務室にいました。
立っていられず、近くの書庫につかまりましたが、その書庫も床を大きく滑り、周りの同僚と「大地震だ!!」と大きな声で叫びあっていました。
揺れが収まり直ぐに局の災害対策本部を立ち上げました。
自家発電機が稼働し、テレビには次々と情報が映し出され、津波警報のあと実際の津波の映像を見たときのあの衝撃は、今も忘れることができません。
全国の水道局の仲間が、盛岡に集結し、毎日沿岸の被災地域へ応急給水に往復してくれました。
本当に有難く、感謝の気持ちでいっぱいでした。
あれから10年。
一区切りではありますが、被害に遭われた方々はまだまだのお気持ちでしょう。
私も亡くなっ友人の無念を思うと、今でも胸が痛くなります。
災害の被害が少しでも少なくなるような街づくりを進めて行くのが、わたくしたちの責任と、思いを改めて深くした今日でした。